方 宏
「外国の生活はどう」「外国で生活するのが羨ましいな」と国の友達からよく言われている。
実は出国したとしても、えらいことではない。でも、出国以後私達は偉くなる。それは、私たちは他人が体験できない悲しみや辛労を体験したし憤慨することもたくさん見たからだ。けれど、誰にも話さなかった。それは私たちに語る事がないのではない。まさに逆だ。私たちの語りたいことが多すぎたからだ。しかし、なにがあっても、これぐらいのことでそう大げさに騒ぐことはないと思うようになった。あるいは、語る時間がないし精力もないのである。
〈外国人〉
自分のあこがれであれ、他の理由であれ海外に来たが、この異国に足を踏み入れたわたしたちは共通の名前になったそれが外国人。文字通りである、他の国から来た人、その国に属さない人。外国人に対して永遠にいわゆる差別がある。話をするとき言葉づかいは「差別」を回避し、優劣の色がある言葉を避ける。しかし、言葉でいわなくても実際の生活の中で露骨な差別がいずこにもある。住む所、進学、仕事、消費さえも含まれる。外国人というこの名前はいつも私たちに注意を促す、ここは故郷ではない、だから平等は空想するな、同情を望まないで、最後に自分を助ける人はじぶんしかない。自分が自分をかわいがるしかない。
つづく